最も深い恐れ

『最も深い恐れ』

〜マリアン・ウィリアムソン著
「愛への帰還」より〜


我々が最も恐れているもの


それは自分が無力だということではない。

 

我々が最も恐れているもの


それは、自分には計り知れない力がある、ということだ。

 

我々が最も恐れるもの


それは我々の光であって、闇ではない。

 

我々は自分に問いかける。


自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた


素晴らしい人物であろうはずがないではないか?


だが、そうあってはなぜいけない?

 

あなたは神の子である。

 

あなたが遠慮をしても世界の役には立たない。


周りの人が気後れしないようにと


あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。

 

我々は、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。


そしてそれは限られた人々のものではなく


すべての人の内にある!

 

我々が自らの内にある光を輝かせるとき


無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している。


我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき


我々の存在は同時に他者を解放する。

いのちのダンス

ひととの関係性に求めるもの。

 

いつでも常に 新鮮な気持ちでありたい。

 

誰かが隣にいて お互いに心を寄せ合っていることは

あたりまえのことではないはず。

 

わたしはわたし 相手は相手で

それぞれひとりの人間で

だから明日にはもう隣にいるかどうかもわからない。

隣にいたとして 心が向き合っているかどうかも。

 

心から手をつなぐことができるということは

奇跡 なのです。

その奇跡に いつでも常に感謝できる自分でありたい。

 

そしてさらに大切にしたいことがある。

それは 一緒にいることに執着しないこと。

その時が来たならば こころよく手を離すこと。

関わる形が変化することを 受け容れること。

 

そばにいるだけが関係ではない。

 

くっついたりはなれたりできる自由の中で

ひとは本当のダンスを踊ることができる。

魂のダンス。本当の交わり。

 

たとえば一緒にいることで学んだなにかを

または育み合ったなにごとかを

離れて散った先の それぞれの新しい場所で

新しく交わる人々に 土地に 文化に

もたらすのかもしれない。

そうして豊かに変化したあたらしい世界を眺めて

いつかの誰かへの感謝の想いが湧き起こる。

 

世界はそのくらい 豊かでいいはずだ。

わたしでありますように

今晩わたしが目を閉じて 眠り

 

そして目覚める 明日の朝

 

このわたしとして目覚める保証は

 

実はどこにも ない

 


昨日も今日も明日も

 

わたしは毎日死ぬまでわたしだと

 

これまでそう信じて疑うことは なかった

 


けれども もしかしたら 明日の朝には

 

このわたしとは 全くの別人として

 

目覚めるのかもしれない

 

その人の記憶のセットを携えて

 

昨日も今日も明日も

 

その人なのだと信じて疑うことなく

 

一日をはじめるのかも知れない

 

 

だとしたら だとしたら

 

わたしがこのわたしでいられるのは

 

この今日 たった一日だけなのだとしたら

 

それがどんなによかろうが悪かろうが

 

とにかく生き切っただろうか はたして

 

今日一日を わたしとして めいっぱい

 

生きることができただろうか

 

 

眠りに就く時に

 

大きく一つ息を吐き

 

そう 問いかける

 

 

願わくば明日もまた

 

わたしでありますように

 

そう願える わたしでありたい

雨が降るのは

雨が降るのは

 

私たちの中に膨らんで溢れた悲しみを

 

空がちょっぴり肩代わりしてくれているから。

 

 

空が晴れるのは

 

ひとつ悲しみが土に染み入り

 

ひとつ悲しみが海へ流れ出でて

 

そしてひとつ空に還ったしるし。

 

 

雨を受け容れる大地に育つ命はだから

 

みんな悲しみを知っていて

 

みんなやさしさを育てている。

迷子の行進

わからないとか

 

できないとか

 

叶わないとか

 

そういう思いを体験したくてきっと

 

人間として生まれてきたのだと思う。

 

 

安住の地を後にして

 

冒険がしたくて

 

不自由を盾にして

 

どこまでバカなことを貫き通せるか

 

そんなゲームに興じてみたくて

 

生まれてきたのだろうと思う。

 

 

もしくは

 

おうちに帰りたいと思ってみたくて

 

おうちを出たのかもしれない。

 

 

いずれにしてもこの人生ゲームの

 

シンプルで絶対のルールは

 

全てを忘れて生まれてくるということ。

 

だから記憶喪失の方向音痴がいっぱい

 

この世界を闊歩している。

選択の船

わたしのこころには

 

選択という意思の自由がある。

 

選択をするということだけが

 

ただひとつわたしにできること。

 

そしてわたしがなにを選択したのかは

 

今目の前の現実を見ればわかる。

 

 

船に乗り続けている。

 

乗船チケットは、選択。

 

いろんな人と乗り合わせたり

 

あるいは航路を違えたりしながら

 

わたしはわたしの選択の船に乗り続けている。

庭を眺める

イライラして生きている人がいる。

 

わたしは穏やかに生きると決めたから

 

そっと身を引く。

 

 

その人のタイミング

 

その人のストーリー

 

わたしは神様じゃないから

 

じゃまをしない。

 

 

他人のことをかまう代わりに

 

わたしはわたしの庭を眺める。

 

水は足りているか

 

土は柔らかいか

 

呼吸をしているか

 

まなざしを向けて 観察をする。

 

そうやって集中しているといつのまにか

 

ささくれた心が凪いでいることに気づく。